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競馬予想 無料 日本ダービー 東京優駿 歴史

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  • 1932年 - 目黒競馬場の芝2400mの4歳(現3歳)牡馬・牝馬の定量の重賞競走「東京優駿大競走」として創設。
  • 1934年 - 施行場を東京競馬場の芝2400mに変更。
  • 1935年 - シアンモアが種牡馬として史上初の3連覇。
  • 1936年 - 単勝5番人気のトクマサが優勝、同競走史上初の単勝払戻し限度額200円の配当を記録。
  • 1937年 - ヒサトモが牝馬として史上初の制覇。2着サンダーランドも牝馬。
  • 1938年 - 名称を「東京優駿競走」に変更。
  • 1939年 - 中山4歳牝馬特別・横濱農林省賞典4歳呼馬・阪神優駿牝馬・京都農林省賞典4歳呼馬と共にクラシック競走体系を確立。
  • 1943年
    • クリフジが牝馬として2頭目の制覇。
    • クリフジ鞍上の前田長吉が、東京優駿史上最年少勝利記録となる20歳3ヶ月での勝利(2008年現在)。
  • 1944年 - 能力検定競走として施行(馬券発売なし・観客は少数の軍人と馬主など関係者200名ほどのみ)。
  • 1945年 - 太平洋戦争の戦況激化により中止。
  • 1946年 - アメリカ進駐軍の競馬場占領により中止。
  • 1947年 - マツミドリが優勝、父・カブトヤマ(1933年・第2回)との史上初の父仔制覇。
  • 1948年 - 名称を「優駿競走」に変更。
  • 1949年
    • 単勝19番人気のタチカゼが優勝、単勝5万5430円の史上最高額の払い戻しを記録。
    • 激しい大混戦のために競走中の馬群の各所で混乱が起き、競走後に騎乗した騎手全員が裁決室に呼び出されて戒告を受ける。
  • 1950年
    • 名称を「東京優駿」に変更。
    • 日本ダービーの副称が付く。
  • 1953年
    • 史上最多の33頭が出走する。なお出走登録は35頭で、当日2頭が出走を取り消した。またレース中に3頭が落馬した。
    • 日本放送協会(NHK)によるテレビ中継が始まる。
  • 1954年 - 元地方大井所属のゴールデンウエーブが中央競馬転厩馬として史上初の優勝、父:ミナミホマレに継ぐ史上2頭目の父子制覇。
  • 1956年 - 1コーナーで俗に言う「エンメイ事故」が起きる。馬主であった作家の吉川英治はエンメイの死と鞍上の阿部正太郎の騎手生命を絶たれる瀕死の重傷に大きなショックを受け、程なく競馬界から身を退く。
  • 1958年
    • 当時の内閣総理大臣・岸信介が観戦。
    • 元地方大井所属のダイゴホマレがJRA転厩馬として史上2頭目の優勝、父:ミナミホマレに継ぐ史上3頭目の父子制覇。
  • 1960年
    • 前年の9月1日から日本競馬の計時方式の変更に伴い、時計表示が1/5秒表示から1/10秒表示に変更。
    • バリヤー式スタートによる発走は本年まで。
  • 1961年 - スターティングゲートの採用により出走可能頭数を32頭に設定する。
  • 1968年 - 東京競馬場の施設改修工事により、施行期日を7月7日に設定。
  • 1969年
    • 1番人気タカツバキに騎乗した嶋田功が発走直後に落馬。
    • ダイシンボルガードの厩務員がコースに乱入。
    • 優勝騎手の大崎昭一が競馬ファンに胴上げされる珍事。
  • 1971年 - ヒカルイマイ騎乗の田島良保が戦後最年少となる23歳7か月にて優勝騎手となる。
  • 1972年 - ストライキ及び流行性の馬インフルエンザによる関東地区中央競馬開催中止の影響により、施行期日が7月9日に順延。
  • 1974年
    • 枠順抽選がマスコミに公開される。
    • シード制施行によりキタノカチドキが本競走で最初の単枠指定適用馬となる。
  • 1977年 - ラッキールーラが優勝し、管理調教師の尾形藤吉が、調教師として当競走最多の8勝目を記録。
  • 1984年 - グレード制施行によりGIに格付けされる。
  • 1986年 - 出走可能頭数を28頭から24頭に削減する。
  • 1988年 - 馬名入りゼッケンが採用される(前年1987年秋よりジャパンカップ以外のGIにも馬名入りゼッケンの拡大を行うことによるもの)。
  • 1989年
    • ウィナーズサークルが茨城県産馬及び芦毛馬として初制覇。
    • 1着の賞金総額が初めて1億円台(1億300万円)に到達する。
  • 1990年
    • 出走可能頭数を22頭に変更。
    • 世界最高となる入場者数19万6571人を記録する[10]
  • 1991年
    • トウカイテイオーが優勝し、父:シンボリルドルフに継ぐ史上4頭目の父子制覇。
    • 出走可能頭数を20頭に変更。
    • 入場券が前売り販売のみとなる(前年の19万人動員をきっかけに入場者の混雑防止を図る観点から。その後他の主要GI競走でも行われた)。
      • その後2002年からは前売入場券を入手できなかった者でも開門30分を過ぎると一般入場券または回数入場券で入場できるようになったが、記念入場券の前売り制度自体は2006年まで続いた。
  • 1992年 - 出走可能頭数を現在の18頭に削減する。
  • 1993年 - 皇太子殿下御成婚奉祝の副称が当年のみ付く。
  • 1994年 - ゼッケンの縁に金糸の刺繍が施されるようになる。
  • 1995年 - 指定交流競走となり、地方所属馬にも門戸が開放される。
  • 1999年 - 武豊が騎手として史上初の連覇。
  • 2001年
    • 馬齢表示の国際基準への変更に伴い、出走条件が「4歳牡馬・牝馬」から「3歳牡馬・牝馬」に変更。
    • 外国産馬の出走枠が制限付きで最大2頭まで出走可能となる。
  • 2002年
    • 当時の内閣総理大臣小泉純一郎が観戦。
    • 武豊が騎手として史上初の本競走3勝目。
    • この年より東京競馬第10競走として施行。
  • 2003年 - ミルコ・デムーロが外国人騎手として史上初の優勝。
  • 2004年
    • 安藤勝己が地方競馬出身の騎手として史上初の優勝。
    • ホッカイドウのコスモバルクが地方競馬所属馬として史上初の出走(8着)。
  • 2005年
    • 外国産馬の出走枠を最大4頭に拡大。
    • 武豊が騎手として史上初の本競走4勝目。
  • 2006年 - 外国産馬の出走枠を最大5頭に拡大。
  • 2007年
    • 国際セリ名簿基準委員会(ICSC)の勧告により、重賞格付け表記をJpnIに変更。
    • 外国産馬の出走枠を最大6頭に拡大。
    • 記念入場券の前売販売を廃止し(フジビュースタンドの完成にともない観覧スペースが十二分に取れたことによる)、当日発売のみになる。
    • 皇太子がレースを台覧。
    • 当時の内閣総理大臣安倍晋三が観戦。
    • ウオッカが牝馬として3頭目の制覇並びに、父:タニノギムレットに継ぐ史上5頭目の父子制覇にしてかつ史上初の父娘制覇。
  • 2008年
    • 外国産馬の出走枠を最大7頭に拡大。
    • 当年のみ、JRAプレミアムの対象レースとなる。
    • 四位洋文が騎手として2人目の連覇を果たすと共に騎手として史上初めて牡馬、牝馬の両方で制覇。
  • 2009年
    • 内閣総理大臣麻生太郎が観戦。
    • ロジユニヴァースが優勝し、父:ネオユニヴァースに継ぐ史上6頭目の父子制覇。
  • 2010年 - 国際競走として施行予定。実現すれば重賞格付け表記が2006年以来4年ぶりにGIに戻ることになる



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